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福岡地方裁判所久留米支部 昭和52年(ヨ)41号 決定

申請人

樋口宰一

外八二名

申請人ら代理人

馬奈木昭雄

外一名

被申請人

関政利

右代理人

高木茂

主文

申請人らの本件申請をいずれも却下する。

申請費用は申請人らの負担とする。

事実《省略》

理由

第一本件各疎明資料によると、次の各事実が一応認められる。

一申請人らは、いずれも福岡県久留米市営の陣町若松字富安部落に居住するもので、同部落と本件豚舎との距離は直線距離で約一五〇メートル(但し、本件豚舎に最も近い民家は七八メートル)の隔たりがある。

二被申請人は、従来から同町若松一九五二番地の現住居において、農業とともに養豚業を営んできたが、長男寛之が県立農芸高校に進学後、被申請人の農業後継者として養豚に熱意を示したことから、被申請人は長男を同校卒業後繁殖豚の飼育研究で著名な栃木県内の種豚の研究所において一年間研修させ、また現在の豚舎の増改築を考慮したが、久留米市農林課、福岡県甘木農林事務所から、現在の豚舎は集落内でしかも一部は公民館と密接しているため環境汚染問題を防止するため他に移転するのが望ましい、用地については施設用地だけでなく、その周辺に自己所有地があるのが望ましいとの指導を受け、本件土地に繁殖豚舎の建設を計画し、その後農業振興地域整備計画一部変更の許可を受け、さらに隣接農地所有者、水利組合、部落長らの各承諾、土地改良区の意見聴取等の手続を経て昭和五一年六月三〇日農地転用の許可を得、同年九月二〇日、農林金融公庫から資金使途を農林大臣指定畜産経営環境保全施設とする一、六八八万円の貸付決定を得、さらに同月二四日水質汚濁防止法五条に基づき、特定施設設置の届出を受理される等の各種手続を経、昭和五二年一月一一日本件土地の埋立に着手し、その後申請人らの反対運動のため一時工事を休止したが、同年四月一八日本件豚舎の基礎工事を開始し、現在鉄骨の組立を終了し、屋根及び一部側壁部分にスレート板を取り付けた状態である、

三本件豚舎の規模は、繁殖豚房が三六房、分娩豚房及び離乳後出荷するまでの子豚を入れる子豚房がそれぞれ九房を擁するもので、通常右繁殖一豚房に一母豚と繁殖した離乳前の子豚を入れ別の同種豚房に種豚五頭を一豚房に一頭宛入れることが予定され、その飼料も全て配合飼料に切り替えられる。そして、これら養豚から排せつされる糞尿の処理方式としては、豚房部分におがくずを敷いて糞尿を全て右おがくずに吸着させ、これに発酵菌を添加したうえ第一次及び第二次発酵槽において発酵させ、熟成したものを堆肥として使用する方式の長本式プラン手を採用し、第一次発酵槽の下部には新しいおがくずを敷きつめる予定である。

四ところで長本式プラントを採用している既存の畜産施設においては、おがくず不足のため全く作動していなかつたり、おがくず不足のため糞と尿とが別処理され、糞は同プラントで処理されるものの、尿は清掃に使用された汚水と共に周辺土地に垂れ流しにされたりしていること、また糞を吸着したおがくずを発酵槽に貯留している際、その自重或いは発酵槽の防雨設備が不完全であるため降り込む雨水等により汚汁が発酵槽から浸出し、敷地外へ流出したりして、必ずしも設計どおりの処理機能を発揮していないが、一方、これらは肥育豚(肉豚)か、又は繁殖豚および肥育豚の一貫飼育施設に関するものであること、繁殖豚においては肥育豚におけると異なり尿も殆どおがくずに吸着してしまうこと、おがくずが十分使用されている施設では第一次、及び第二次発酵槽や製品化した肥料置場では悪臭は感じられず、またうじは、摂氏五〇度で死滅するところ、右発酵処理の際には温度が摂氏六〇ないし八〇度に上昇するため、蚊・はえの発生生育もない。

五本件豚舎の構造は鉄骨スレート葺きであるが、その外側は地面からブロツク二段(約四〇センチメートル)を積み、その上に鉄柵を立てその上にスレートの壁を設け、右鉄柵部分には引き戸式の窓を取り付けること、豚舎内は全てコンクリート張りのうえ、豚舎横(東側)には深さ二メートル、横二メートル、縦五メートル(容量二〇立方メートル)の地下埋込式のコンクリート製尿溜が設置され、豚舎及び堆肥舎内には糞汁及び尿等汚水の排出溝が設けられ、これらを一本の水路に集め、もしおがくずに吸着されない糞尿等の汚水が流出しても前記尿溜に導かれる仕組になり、雨水の排水路は別個に設置されること、また雨水の吹き込み等を防止するため、発酵槽及び製品化した肥料置場は屋内に設置され、密閉式であり、しかも前記のとおり、豚舎開口部には全て引戸式の戸が設けられる等、長本式プラントを採用している既存の畜産施設に比べ、かなり改善されている。

六おがくずの点に関しては、被申請人において、本件豚舎において予定している毎月の使用量よりもはるかに多い毎月約五八立方メートルのおがくずを現在確保しており、将来も確保できるからおがくず不足は考えられない。

七労働力の点に関しては、被申請人夫婦、息子寛之がおり、寛之は養豚に専従するのであるし、更にトラクター等の使用による機械化、省力化が企られているのであるから、被申請人は繁殖豚の成育を促進し、かつ悪臭を防止するため毎日汚れたおがくずを交換する予定であるものの、本件豚舎の規模からすれば労力不足による管理不十分ということは考えられない。

八長本式プラントにより完成した肥料(おがくずを十分使用したもの)は全く悪臭がしないし、有機質肥料の重要性が説かれている昨今、発酵堆肥の需要は強いと考えられるし、既に久留米市農協宮の陣ハウス部会から使用申込みが来ているのであるから、完成した肥料の販売も十分可能である。

九長本式プラントを設計どおり処理機能を発揮させるためには、おがくずの確保と養豚家の環境汚染防止に対する熱意、態度が重要な要素を占めると考えられるが、本件豚舎建設に至る経緯、被申請人が養豚農家のリーダー的地位にあること、久留米市農林課や福岡県甘木農林事務所の強い指導下にあること、市に対し環境汚染防止に極力努力する旨誓約していること等から、被申請人にその熱意、態度を十分期待できる。

第二ところで、悪臭や騒音のない健康的で良好な生活環境を維持することは人が生きていくために不可欠な生活利益であり、これが法的保護に値することはいうまでもないから、これらの利益が他人の営業により排出される汚水、悪臭、騒音などによつて侵害される場合には、その侵害行為の差止めを求めることができるものと解される。そしてそのような侵害行為の差止めを求めうるかどうかは、当該侵害の程度、態様、地域性、行為の法規違反性、侵害者の防止措置等、被害者側、侵害者側および社会的な諸事情を比較考量し、被害者において、通常人として社会共同生活を営むうえで忍ばなければならない限度をこえているかどうかによつて判断するのが相当である。

そこで、以下前記認定の事実を前提に申請人らの「申請人らが被ることが予測される被害」の主張について検討する。

一糞尿など汚水の垂れ流し

検証の結果によれば、おがくずを豚房内に十分敷きつめることにより糞尿をほぼ完全に吸収しうることは豚より糞尿の排せつ量の多い牛について既に実行されている例が存すること、おがくずが定期的に交換されれば、特に豚舎を水洗いする必要のないこと、第二次発酵槽に至ればもはや汚汁は流出するおそれはないことが認められるところ、前記のとおり被申請人らは毎月の必要量を大きく上回るおがくずを確保し、肥育豚よりはるかに尿排せつ量の少ない繁殖豚を飼育するのであり、豚房内の汚れたおがくずは毎日交換する予定であつて、万一の場合を予測して豚舎内に排出溝を切り、これを地下埋込式尿溜に導くことにしていることからすれば、豚から排せつされる糞尿を敷地外に垂れ流すことは一応防止されているといわざるをえず、また、堆肥舎内の第一次発酵槽の下部には新しいおがくずを敷きつめる予定であるし、万一堆肥舎から流出する糞汁等も、堆肥舎内に排出溝を切り、これを同様地下埋込式尿溜に導くことにしていること、堆肥舎に雨が降り込むのを防止するため、これを豚舎内に設置し密閉式にしていること、さらに豚舎開口部に引戸を設けていることから雨水混入による汚水の激増は考えられないこと等の諸点を総合すると、被申請人が尿溜からオーバーフロー等により汚水を周辺土地へ垂れ流す蓋然性は殆どないものと推認するのが相当である。

二悪臭

豚舎内におがくずが敷かれ、毎日或いは一日置き位にその汚れた部分が交換され、更に糞尿を吸収したおがくずについて発酵処理がなされるとき、豚舎及び発酵槽内で殆ど悪臭がしないことは既存の施設で明らかである(因みに、甘木市三奈木の牛舎においては、発酵槽の一五センチメートル上でもアンモニア濃度が0.39PPMであつて、悪臭防止法の規制を受けたA地域の基準一PPMを大幅に下回つていること、及び畜舎風下三メートル地点でアンモニア濃度が0.88PPMであるのが、同二五メートル地点に至ると0.2PPMであることが疎明されている。)ところ、前示のようにこれら施設よりも一層処理方法が改善されている本件豚舎における臭気はそれ以上であるとは認められず、本件豚舎から一五〇メートル(最短距離で七八メートル)離れている申請人ら部落では、その臭気はかなり減少すると考えられる。また本件豚舎は繁殖豚舎であるが、繁殖豚舎におけるアンモニア濃度は肥育豚(肉豚)舎に比べ低いことも明らかである。これら諸点を考慮すると、申請人ら宅では悪臭防止法のA地域の規制を大きく下回ることが予想される。

三騒音

本件豚舎における養豚は、その対象が繁殖豚であるため、親豚を一豚房に一頭入れて飼育するので、豚同士の争いがなく、また子豚の多数飼育も肥育豚飼育と異なり、同腹であるため争いが少ない。従つて、鳴き声も肥育豚の場合より小さいと考えられるのみならず、本件豚舎と申請人ら宅との距離は最短のもので七八メートルであるから、申請人ら宅における騒音量はかなり減少すると推認するのが相当である。

四はえ・蚊について

はえの発生生育については糞及び餌を考える必要があるところ、前認定のとおり糞についてはうじは摂氏五〇度で全部死滅するが、糞尿を前記発酵槽で発酵処理する場合、発酵温度は摂氏六〇度ないし八〇度に至るため、はえの発生生育はないし、餌も本件豚舎ではちゆう芥ではなく、配合飼料が予定されているため、はえの発生生育の余地はない。蚊についても、汚水処理が前認定のように行なわれる以上、発生源は考えられない。

五健康被害

悪臭、騒音、害虫などによる不眠、気分のいらいら、嫌悪感、吐気、また、はえ・蚊による伝染病発生の危険性、井戸水汚染等については、前記のように、汚水の垂れ流し、悪臭、騒音、はえ・蚊の発生等が生じる蓋然性が殆どないと認められる以上、右主張のごときはこれを認めることはできない。

第三その他の事情

一本件豚舎建設の手続については、申請人ら主張のように、冨安部落の住民に対し、事前に右建設説明の機会が与えられなかつたことは一応認められるが、地元の一農家が自己所有地に本件程度の豚舎を建設するにつき、約一五〇メートル離れた近接部落民と事前に話し合いの機会を持たなかつたからといつて、これが公共施設の建設の場合と同様非難されるべきであるとは必ずしもいえず、前記のとおり、隣接農地所有者、部落長らの承諾等の手続を経ていることで足りるというべきである。

二本件土地周辺は久留米市内ではあるが、中心部とは筑後川で隔たつた純然たる農村地帯であり、本件土地は最も近い民家と約七八メートル離れた自己所有地の中心に位置した田であつて、被申請人は他の土地の物色検討に努力したうえやむなく本件土地を選択するに至つたこと、申請人らのいう代替地の話は、被申請人が農地転用許可等諸手続を経たうえ、埋立造成した後である昭和五二年二月ころに出されていることが一応認められるところ、それらはいずれも農地のままであつて、低地であつたり、面積が不十分であつたり、賃借人がいたり、通路が狭かつたりする疑問があつて必ずしも適地であるとは認め難く、被申請人が代替適地の検討を怠つたとは認められない。

三本件豚舎の建築には、建築許可がおりる前に着工された違法があることは申請人ら主張のとおりであるが、右は本件の被保全権利の有無を左右する程のものとは認められない。

四もとより、前記長本式プラントより高度な能力を有する施設が現存するとは認められない。

第五結論

以上によれば、本件豚舎の建設により申請人らに与える諸影響が皆無であるとはいえないものの、それが社会共同生活を営むうえで忍ばなければならない限度をこえているものとまではいえない。そうすると、本件申請は、結局被保全権利の存在について疎明がないことになり、事案の性質上疎明にかわる保証をたてさせてこれを認容することも相当でないので、仮処分の必要性について判断するまでもなく理由がない。そこで、本件申請を却下することとし、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して主文のとおり決定する。

(池田憲義 最上侃二 一宮和夫)

物件目録〈省略〉

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